落合陽一著「魔法の世紀」を読みました。

落合陽一氏の書いた「魔法の世紀」を読みました。

ずいぶん前に図書館で予約していた本でしたので、読もうと思ったきっかけすら忘れていましたが、面白い本でした。

メディアの「動」としての進化

特にメディアとしてのコンピュータの歴史とこれからについてが参考になりました。

具体的には、メディアというのは、ある意味自由度を高くして進化してきたという歴史があり、2つの「動」という観点で説明しています。

1つは、静止画から動画へというコンテンツ的な意味での変化。

もう1つは、「可搬性」という意味での「動」の自由度の発展であり、歴史的には後者の影響の方が大きいということです。近年ではスマートフォンの普及ですね。

また一方で、「紙」のようなメディアが今もなお残っているのはその自由度の高さにあるからだと言います。

スマートフォンの次の世界を考える上で、この「動」の観点は重要な要素となりそうです。

アナログとデジタルの境界はなくなる

メディアについてよくアナログ vs デジタルという論争がありますが、あまり意味がありません。

ここでいうデジタルメディアとは、人間の感覚器がギリギリ違和感なく感じ取れる範囲に表現の閾値を設定することでできるだけ低いコストで情報を複製しているに過ぎないからです。

ご存知のように、ディスプレイの解像度はすでにドットが見えない領域に突入していますし、手書き入力に関してもデジタルで代用できるように進化しています。

落合氏はさらに、人間の身体的な解像度を超えた領域にまでメディアの性能を引き上げると、不思議な現象が起きるといい、その世界を「魔法の世紀」と名付けました。

ちなみに今は「映像の世紀」です。

「魔法の世紀」とは

「魔法の世紀」では人間の感覚の境界を飛び越えたメディアが出現します。

例えば、以下の動画にあるような「触れる光」みたいなものが出てくるというわけです。

一方、「映像の世紀」とは映画館のスクリーンでイメージを共有するという行為に象徴される時代です。スマートフォンが普及した現在でも本質は変わっていません。

「魔法の世紀」ではリアルとバーチャルの対比構造が、コンピュータの進化によって踏み越えられ作り替えられていく世界なんです。

ちょっと難しいですかね。

著者と会うチャンスが

本の内容とは全く関係ないのですが、本日はとあるイベントで「イノベーションとデザイン思考」についてお話をする機会をいただきました。

そのイベントの終盤で、次回(10月)のゲストが落合陽一氏だという話を聞いて、ビックリしました。

なぜなら前日に「魔法の世紀」を読んでいたからです。

もしタイミングよく前日に本を読んでいなかったとしたら、きっと「誰それ?」という感じでスルーしていたと思います。

直感にしたがって読んだ本がもたらした偶然に感謝ですね。

次回のイベントでは参加者として参加したいと思います。


あすよみ発起人 マサ

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